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台湾にギフチョウが居た!? [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

台湾にギフチョウが居た!?

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▲「台湾蝶類誌」第一巻 鳳蝶科(2018)

ごく最近、当会の副会長、理事を歴任されている台湾のYu Feng HSU教授が共著者となり、台湾産の蝶類を網羅する図鑑シリーズの刊行が始まった。まずアゲハチョウ科とシロチョウ科が刊行されたが、この中にちょっと目を引く標本が図示されているので紹介したい。

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日本虎鳳蝶 Luehdorfia japonica formosana Rothschild, 1918 (「台湾蝶類誌」第一巻 鳳蝶科(2018)より)

プレート20の最下段に図示されているのは、台湾、"TAIDONG Pref., Pushige "で得られたとされるギフチョウで、日本昆虫学の開祖として名高い昆虫学者、松村松年(1872-1960)のコレクションに由来し、現在は北海道大学のコレクションに所蔵されているものである。果たして台湾にギフチョウは居た(居る)のか? ロスチャイルドは1918年にギフチョウの台湾亜種formosanaを記載し、そのホロタイプ標本は大英自然史博物館に所蔵されているが、そのラベルには「1905年にE. Swinhoeから得た(標本)」というラベルが付されている。どういう経緯で「台湾産」とされるギフチョウがロスチャイルドの手に渡ったのか、それだけで推理小説のような面白さがあるのだが、いずれにせよ、かつて台湾にはギフチョウが産するとされていた時代があったことは確かである。

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▲山川黙 著 「原色新蝶類図」(1935)
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▲同著のギフチョウの記述

それは例えば戦前の書籍にも反映されている。山川黙(1886-1966)が一般向けに刊行して普及した蝶類図鑑「原色新蝶類図」(1935)でも、ギフチョウは「四国(!)、九州(!)、台湾」に産するという記述がみられる。このうち九州は「豊後」(Bungo)で得られたという記述があることに基づくものと思われるが、四国については出典が良く分からない。

こうした事実を丁寧に検証し、結論を出したのが当会理事の渡辺康之氏である。渡辺氏は国内外の文献と博物館所蔵標本を調べ上げ、著書「ギフチョウ」(1996、北海道大学出版会)にまとめた。この中で渡辺氏は台湾のギフチョウについては標本の産地に疑義があるために分布域には台湾を含めないと結論づけている。

冒頭で紹介した台湾の図鑑でもこの見解は支持されているので、少なくともギフチョウが台湾に産するということは無いと考えて良い。

それにしても、ロスチャイルドや松村松年といったビッグネームも関係する、「台湾のギフチョウ」騒動というのは、日本人の愛蝶家にとっては興味深い話題である。
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絶滅した和歌山・龍門山のギフチョウ [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

絶滅した和歌山・龍門山のギフチョウ

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▲龍門山登山口

春なので、やはりギフチョウの話題を紹介したくなるのがブログ編集子の日本人蝶愛好家たる所以である。かつて絶滅した東京都のギフチョウを紹介したことがあったが、東京都のギフチョウを「東の横綱」とするなら、「西の横綱」として名を挙げて誰もが異論の無いのが和歌山・龍門山のギフチョウだろう。龍門山のギフチョウも、もともと生息していた個体群は絶滅してから30年以上が経った。現在、この山塊で見られるものは大和葛城山で得られた個体群を飼育して、放蝶したものが定着したという見方が強い。(的場, 2003)

龍門山は大河・紀ノ川の南岸に位置し、和歌山県では唯一の生息地であると同時に、近隣産地から飛び離れた分布地として注目されてきた。この地にギフチョウが産することが広く知られるようになったのは戦後間もない頃のようだ。1948年に地元の中学生グループが山頂付近で多数を得て、このニュースを受けて大阪など県外からも多くの同好者が訪れるようになり、春の龍門山はギフチョウを求める人で賑わったという。(後藤, 1996) 

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▲かつて多くのギフチョウが集まったという龍門山山頂

同地は孤立した産地ながら個体数は多かったようで、山頂付近には集中的に飛来する様子が見られたという。このギフチョウの多産地が大きく変貌を遂げたのは1970年代後半になってからのことである。後藤(1996)は減少の原因として山麓で拡大した果樹園の農薬散布とゴルフ場の建設を挙げている。

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▲龍門山産のギフチョウ♂(1983年4月採集:進化生物学研究所所蔵)

上に図示したのは1983年に採集された個体である。龍門山におけるギフチョウの記録は1985年や1986年あたりが最後と考えられているので、この個体は絶滅直前に採集された貴重な資料と言える。

龍門山では、1990年代から地元の自然保護団体などが奈良のギフチョウを放蝶する取り組みを行ったようで、その個体群が定着し、現在ではギフチョウの姿が見られるが、それはもともと生息していた個体群では無い。ちょうど果樹園の農薬なども以前に比べて低濃度の毒性のものが使われるようになったため、ギフチョウが生息できる環境が戻ってきたと指摘する人もいる。

長い年月をかけて孤立して生息するようになった個体群も絶滅するときはほんの一瞬とも言える。現在、日本ではギフチョウも含むさまざまな蝶で多くの地域個体群が危機に瀕しているが、龍門山の悲劇を繰り返さないためには、感情論ではなく、科学的な検証に基づいた減少要因の冷静な分析と的確な対策が求められると思う。

【参考文献】
後藤伸. 1996. 蝶類雑記16 龍門山のギフチョウについて. KINOKUNI 49: 1-5.
的場績. 2003. 龍門山のギフチョウについて. KINOKUNI 63: 9.
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【動画】ヒメシジミ (Plebejus argus) [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

【動画】ヒメシジミ (Plebejus argus)

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▲ヒメシジミ♂の地理的変異(左:青森県むつ市 右:青森県岩木山):進化生物学研究所所蔵

 初夏を迎える頃、中山地から山地の河川沿いや草原に現われるのがヒメシジミである。かつて多産地では一面ヒメシジミの大群が飛び交う姿も見られ、誰も追いかけなかったという話も聞くが、ご多分に漏れず生息環境の悪化で減少の一途を辿り、今では中々姿を見るのも簡単では無くなった。既に国内南限の産地であった九州の久住高原からは絶滅してしまったという。本種は地理的変異があるのが特徴で、中でも知る人ぞ知る顕著な個体群が青森県の下北半島に見られる。上の画像は共に青森県産の♂であるが、左の大型・青色鱗の発達したものが下北半島特有の典型的な個体である。進化生物学研究所には多数の個体が所蔵されているが、個体差はあるものの概ね傾向は安定しているようだ。このほか山形県朝日連峰の個体群は「朝日型ヒメシジミ」と呼ばれることもあり、♀の後翅表外縁に白色鱗の列が発現することで知られる。
 先日、山梨県で発生初期のヒメシジミに出会った。縁毛も揃った美しい個体で、ビデオでも十分にその可憐さが伝わるかと思う。


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スギタニルリシジミ Sugitani's Hedge Blue (Celastrina sugitanii) [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

スギタニルリシジミ Sugitani's Hedge Blue (Celastrina sugitanii)

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▲スギタニルリシジミ(左:♂ 右:♀)東京都檜原村産

 待ちに待った春が来た。春と言えば言わずと知れたギフチョウなのだが、今回は渋くスギタニルリシジミ(Celastrina sugitanii)について紹介しよう。スギタニルリシジミの「スギタニ」とは、発見者の旧第三高等学校の数学科・杉谷岩彦教授(1888-1971)に因む。杉谷教授の教え子には岡潔、湯川秀樹、朝永振一郎など錚々たる日本の頭脳がいる。杉谷教授は熱心な蝶愛好家で、朝鮮半島や台湾に調査行を重ね、膨大なコレクションを遺した。いまコレクションは九州大学に所蔵されている。
 このスギタニルリシジミであるが、年に一回春浅い時のみに出現することもあってその生態は謎に包まれていた。その食樹を突き止めたのは当時は東大医学部の学生だった葛谷健氏と群馬の布施英明氏で、トチノキを食樹とすることを明らかにし、1959(昭和34)年に発表した。
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▲幼生期発見者の布施英明氏の著書「群馬の蝶」(1972)

 編集子の手元には、かつて華々しい活躍をした「京浜昆虫同好会」が発行した1961(昭和36)年発行の「Insect Magazine」がある。本号には「スギタニルリシジミ分布調査会報告」と題する力作のリポートが掲載されている。当時は珍種の誉れ高かった本種を、何とかして得ようと何人もの若い会員が各地を調査した記録が掲載されている。

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▲インセクトマガジンNo.52の表紙

 今でこそスギタニルリシジミは、発生期に産地に行けばそれほど苦労せずとも姿を見られる。しかしその果実は、かつてその姿を得たいと渇望し、採れるとも知れない急峻な渓谷に挑んだ先人たちの汗と涙が実らせたものであることを忘れてはいけないと思う。渓谷に生える巨木のトチノキを食樹とするような本種は、ちっぽけな人間の採集程度で絶滅させることなど到底不可能で、もし個体群を脅かすとするなら生息地の破壊以外に理由はあり得ない。本種はトチノキの生えない場所でも得られており、こうした場所ではミズキやキハダを食樹とする報告もあり、その生態の全貌は未だ明らかになっているとは言えない。
 願わくば全国各地の若い世代に、本種の生活史について今一度、丁寧な調査をして欲しいと思う。


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タテハモドキ Peacock Pansy (Junonia almana) [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

タテハモドキ Peacock Pansy (Junonia almana)

 ブログ編集子が多忙にかまけてブログ更新をサボっていたところ、九州の当会会員からありがたい情報提供があったので、久しぶりに更新することになった。今回紹介するのはタテハモドキである。「モドキ」とは似て非なるものを指す言葉であるが、タテハモドキは純然たるタテハチョウ科の種なので、そもそも不思議な和名である。眼状紋が目立つことから「ジャノメモドキ」が正しい和名かとも思うが、昨今は従来の「ジャノメチョウ科」はタテハチョウ科の亜科として扱われることが多いので、これまた矛盾することになる。

 そんな議論はさておき、今回紹介するのは佐賀県のタテハモドキである。
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▲棲息地 何の変哲もない市街地の駐車場である(佐賀県)
ご覧の通り、市街地の、どこにでもあるような駐車場で発生しているらしい。イメージとしては、最近都心でもよく見られるツマグロヒョウモンに近いような気もする。
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▲日光浴する個体(佐賀県)
こちらは日光浴する個体。本種の特徴である眼状紋がよく目立って美しい。
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▲日光浴する別個体(佐賀県)

 本種は南西諸島に普通とされるが、ブログ編集子が仕事の関係で沖縄に暮らしていた2000年代前半、本種はかなり稀な種であった。沖縄島では、目撃したのは僅かに数回しか無かったと記憶している。それが九州本土では今や広く見られるようである。今回情報提供いただいた会員の方は宮崎県のご出身であるが、幼少期には宮崎でも稀な種だったとのことである。わずか数十年の間に分布も随分変わっているのかも知れない。

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アポイ岳の小さな妖精 [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

アポイ岳の小さな妖精~ヒメチャマダラセセリ Pyrgus malvae

ブログ編集子の身辺多忙ややる気なし病など諸般の事情でブログ更新が途絶して久しい。この間も過去の記事を毎日多くの方に閲覧いただき、申し訳ない気持ちを感じていた。そんな折、横地会長から助け舟が送られてきた。

我が国では北海道・日高山脈のアポイ岳にのみ細々と棲息するヒメチャマダラセセリ Pyrgus malvae の画像である。国の天然記念物にも指定されている本種は、日本産蝶類の全種撮影を志す多くの人たちにとっては難関である。

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▲棲息地を五合目から望む(右端がアポイ岳山頂)

棲息地のアポイ岳周辺は天候が安定せず、僅かな晴れ間にうまく当たらなければその姿を見ることは困難である。その上、昨今の地球温暖化の影響もあって植生が変化し、個体数がこのところ激減しているという。当会の渡辺康之理事は40年余り前の本種発見に関わって以来、継続的に観察を続けられているが、危機的な状況なのだという。

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▲アポイアズマギクで吸蜜する成虫
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▲ヒロハヘビノボラズで吸蜜する成虫

横地会長はこの難関種の撮影にチャレンジすること3回。過去2回は遠征したにも関わらず強風と雨に泣かされ、空しく敗退。ついに本年5月28日、撮影に成功された。快晴の朝、朝5時に出発。5合目の森林限界から上でついにその姿を見ることができたという。午前7時半くらいから活動を始め、朝のうちは砂礫の上を緩慢に飛ぶので撮影のチャンスがあるそうだ。日が上がると活動が活発となり、アポイアズマギクなどで吸蜜する姿を観察できた。今回、下の画像でヒロハヘビノボラズに訪花している画像があるが、この植物は以前には棲息地では見られなかったという。気候変動の影響なのだろうか。快晴の絶好のコンディションでも目撃できた個体数は僅かで、横地会長は「あの個体数ではちょっとしたことですぐに絶滅してしまいそうだ」とコメントした。

現在、危機的な状況にあるヒメチャマダラセセリを保全する活動も行われていると聞くが、可憐な姿がいつまでもアポイ岳で舞ってくれることを願いたい。

※画像撮影はすべて横地隆。著作権は撮影者に帰属します。画像の無断転用は固くお断りします。
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【動画】ヒサマツミドリシジミ (Chrysozephyrus hisamatsusanus) [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

【動画】ヒサマツミドリシジミ (Chrysozephyrus hisamatsusanus)

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▲ヒサマツミドリシジミ♂(飼育個体・和歌山県産)

 現在60代や70代の日本の蝶愛好家にとって、ヒサマツミドリシジミは特別な感慨を抱かせる種であるに違いない。古くは戦後間もない頃、京都杉峠が有名なポイントとして知られ、成虫を狙う長い竿が林立した光景や、生活史を解明するまでの大騒動などのエピソードには事欠かない。
 ブログ編集子の手元に、一世を風靡した京浜昆虫同好会の「インセクトジャーナル」創刊号(1964年12月)があるが、その中には「座談会 ヒサマツミドリシジミをめぐって-その生活史解明のために-」という記事がある。わが会の賞にもその名を残す磐瀬太郎氏の自宅に集まって座談会を行った面々は、磐瀬氏のほか、阿江茂氏、藤岡知夫氏、吉田良和氏、大島良美氏、柴谷肇一氏と、それはもう当時から一騎当千の兵ばかりである。ここで交わされた会話はじつに興味深く、いかにヒサマツミドリシジミが彼らの心を奪っていたのかがよくわかる。

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▲「座談会 ヒサマツミドリシジミをめぐって-その生活史解明のために-」の最初のページ

あれから半世紀が経った。今ではヒサマツミドリシジミの食樹はウラジロガシと誰もが知るようになり、越冬卵から飼育した美しい成虫の標本を見ることも容易になった。しかし、成虫を見ることは現在でも中々困難である。梅雨の晴れ間に、発生地の谷筋から吹きあがってきた♂が尾根やピークで占有行動を行う。今回はその姿を鮮明に捉えた秘蔵の映像を紹介することにしよう。


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蝶聖・林慶氏のウラジロミドリシジミ [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

蝶聖・林慶氏のウラジロミドリシジミ

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▲林慶氏のウラジロミドリシジミ飼育標本


 先日の総会・大会のご報告を先にブログに掲載すべきであるが、大変興味深い標本を入手したので投稿しておきたい。まずは上の標本を見ていただきたい。まぁ本ブログを良くご覧いただく方ならば、何の変哲もないウラジロミドリシジミ(Favonius saphirinus)の♂であろうと思うはずである。やや小型であること、無頭針が使われていること以外にはさしたる特徴は見当たらない。
 しかし、この標本には以下のラベルが付されている。

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▲上記のウラジロミドリシジミに付されたラベル

 ラベルがローマ字でタイプされたこの標本は、故・林慶氏(1914-1962)のコレクションに由来するものなのだ。林慶氏と言ってもピンとくる方はもう還暦をとうに過ぎ、古稀を過ぎたくらいのベテラン蝶愛好家だけであろう。当会は学会賞として氏にちなんだ「林賞」を設け、図鑑や論文等で蝶類学に大きく貢献した方を表彰している。林慶氏は、戦後日本蝶界史に燦然と輝く巨星である。昨今よく耳にする言葉で言えば「レジェンド」そのものである。  林 慶 (1914-1962).jpg
▲林 慶氏(『白水隆アルバム』より)

 林氏は1914年生まれ、東京帝国大学農学部を卒業後、民間企業に勤めたものの病を得て退職、後半生を蝶の研究に捧げた。敗戦の傷も癒えない1948年(昭和23年)にはゼフィルスの越冬卵採集と飼育技術を確立した。我々が今日、厳冬期の林でゼフィルスの卵の採集や観察を楽しめるのも、氏の粘り強い努力に因るところが大きい。1951年に「日本蝶類解説」、1959年には「日本幼虫図鑑」(蝶の部を担当)を手がけ、戦後の日本蝶類研究を指導した。  病のため惜しくも48歳の若さで亡くなられてしまったが、その天才を惜しむ声は今なお大きい。当時としては最大級の2万点を超すコレクションは弟子たちの手で整理され、国立科学博物館に収められた。
 今回入手した標本は、恐らく整理にあたった弟子たちが「形見分け」の形で譲り受けたものではないかと推察される。林氏がこのウラジロミドリシジミを飼育していた1951年(昭和26年)といえば、日本が敗戦から立ち上がろうと必死にもがいていた時代である。現在のように通信手段も発達していなかった時代、北海道から卵を送るのも大変だったことは想像に難くない。蝶に寄せる先人たちの熱い思いが、この1頭のシジミチョウの標本から立ち上ってくるような気がする。
 今回、同時に林氏が使用していたという展翅版(下図)も入手することができた。飴色に変色し、いくつも留め針の穴の開いた板を眺めると、林氏の息遣いすら聴こえてくるような思いに囚われる。
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▲林慶氏の展翅版

 こうした文化財とも言える標本が後世に残って欲しいものだとつくづく思う。残念ながら日本の現状を鑑みるに、自然史資料の重要性が広く認識されているとは言い難い状況にある。高齢化が進む蝶界でも、在野の研究者、アマチュアの愛好家の貴重な資料は散逸する一方なのが哀しい。

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【動画】 テングチョウの大発生 An outbreak of Snout Butterfly (Libythea celtis) [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]

 このところ西日本を中心にテングチョウの大発生が報告されているようである。ブログ編集子も春先に近郊の低山地を歩いたところ、やたらに越冬個体が飛んでいるのに出くわした。この調子で越冬個体が卵を産んで次世代の成虫が発生したらエライことになるのではないかという気がしたが、その後、多忙に紛れてそんなことはすっかり忘れてしまっていた。

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▲春先に多く見かけた越冬後の個体

 そして月日は過ぎ、新緑の候になって、同じ丘陵地に今度はウラゴマダラシジミの幼虫を探しに出かけたのだが、この時にやたらめったらイボタの枝に緑色の蛹がついていて驚かされた。生態に音痴な編集子は、最初は蛾の蛹かと思っていたのだが、どう見ても蝶のようだ。調べてみたら、これがすべてテングチョウの蛹だったのだ。

 それから1週間。とある用事で別の低山地に入ったところ、動画のような大発生に出くわしてしまった。路上の湿地を埋め尽くす集団、まるで枯れ葉のように舞う姿には、呆れるほか無かった。宮崎・石井(2004)の論文にもある通り、テングチョウは古くから時折大発生することが知られている。詳しいメカニズムは分かっていないが、テングチョウの特異な分類的位置づけ、移動性を持つ生態と天敵との関係など、調べてみると面白いテーマだと思う。



なお、以前こちらの記事で紹介した青森県でのアカシジミ大発生であるが、
ことしもまだ継続しているようだ。一体いつまで続くのか興味深い。こちらについても以下に好評を博した動画を再掲しておくので、ぜひご覧いただきたい。




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【動画】ミドリシジミ / Movie File: Japanese Green Hairstreak (Neozephyrus japonicus) [日本の蝶 / Butterflies JAPAN]



【動画】ミドリシジミ
 日本の蝶を動画で紹介することはや1年、かねてから緑色のゼフィルスを動画で紹介したいと思ってきた。しかし、実は野外で緑色の輝きをうまく捉えるのはなかなか容易ではない。なぜならゼフィルスの多くは樹上でテリトリーを張って♀を待ち受けるため、俯瞰するようなアングルでうまく撮影できるチャンスは少ないのだ。朝早く日光浴のため下草に降りる♂を狙ったが、お見せするほどのシーンは撮影できなかった。
 今回、何とか紹介するのはミドリシジミ(Neozephyrus japonicus)。♂は残念ながら上からのシーンでは無いが、まぁ緑色の輝きは味わえるのではないかと思う。ミドリシジミはハンノキを食するため、ハンノキが自生する湿地がなければ見られない。都内では練馬区の石神井公園で見られるほか、八王子市や青梅市、町田市に棲息地が散発的に残されているが、いずれも宅地開発などで前途は明るくない。
(東京都八王子市にて、2013年6月撮影)

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▲下草に降りたミドリシジミ♀



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